通年企画「食再発見―変化のかたち」(2)

「国民食カレー」

スパイスP種類、秘密調合

「画一」から「多様」へ

迫る小子高齢化の波

【編注】本記、グラフィックス、タイトルカット

、甲府、横浜注意

口を射るような鮮やかな赤色はカイエンペッパー,真っ黄色がターメリック、薄いグレーのカルダモン。インドではおなじみの色とりどりのスパイス粉末を盛ったボウルがテーブルにいくつも並び、刺激的な強い香りが部屋いっぱいに漂う。紺の作務衣に不似合いな防じんマスクで刺激から鼻を守る宮下雄治(55)。「これがないと、くしゃみが止まらなくなるんですよ」。笑いながら粉末を透明の大型ビニール袋に次に投入、空気を入れて袋を膨らませ、豪快に振る。十七種類のスパイスが絶妙に混じり、作業開始から約一時間でオリジナルのカレー粉千食分が完成した。スパイスの比率はもちろん「秘密」だ。▽すべてオリジナル 富士山を望む広さ二十畳ほどの建物が、宮下の「スパイス小屋」(山梨県河口湖町)。約四十種類のスパイスを保管する倉庫はエアコンで気温一七度に保ち、香りが失われないように光を遮断して暗閣を維持。周一回、調合する。「カレーは酒と同じ。香りを楽しむんですよ」隣接の富士吉田で、全国の日本酒約八十銘柄をそろえる居酒屋「糸力」を経営する宮下らしいひと言。日本酒の世界に入って二十五年。店でカレーを出すようになって十年余りになる。十年前、河口湖に釣りに来たコピーライター糸井重里が偶然、店に立ち寄り「いままでで一番おいしい」と絶賛、地元でも評判のカレーだが、誰かに付いて修行したことはなく、すべて独学だ。「若いころ市販のカレー粉に小麦粉も使って、日本的なカレーを作ったら旨やけて。インドでやっているようにスパイスだけで作ろうと考えた」と宮下。いま食べたカレーを数日でほぼ再現できるという味覚を生かしてスパイスを組み合わせ、日本人が好きなしょうゆやソースで味付け。ココナツカレー、インドカレー、カシミールカレーなど七メニューを用意した。「スパイスから作ればすべてオリジナル。それができるのはカレーだけ」。そう断言する。▽家事解放のルーツカレーが日本に伝わったのは文明開化のころ。英国が、植民地だったインドの料理を紹介した。スパイスには薬効があるものが多く、ターメリックは「ウコン」、カルダモンは「シッヨウズク」とも呼ばれ、健胃などの効能で漢方にも使われる。戦前は軍隊食、戦後は学校給食で日本中に広がったカレーだが「国民食」に押し上げたのは高度経済成長だった。ある大手メーカーの工場。はがきをさらに縦長にした大きさのトレーがベルトコンベアーに乗ってラインを流れ、その中にココア色の温かな液体が流し込まれる。さらに冷蔵庫の中をゆっくり移動液体は静かに固まっていく。戦後復興が本格化した一九五〇年ごろに搭乗した即席カレーの固形ルー。「簡単にカレーができる即席ルーは、高度経済成長と核家族化の中で主婦を家事から解放するルーツとして受け入れられた」。「横濱カレーミュージアム」(二〇〇一ー〇七年)の責任者も務めた「カレー総合研究所」の所長、井上岳久(39)はそう指摘する。メーカー各社は、シェア拡大をめぐり厳しく競争し、六〇年代に入ると子供たちをターゲットに、リンゴやはちみつ、レーズンなど入れて甘くした即席ルーを相次いで発売。子供にねだられた母親が購入し、家庭に深く入り込んでいった。孤食のルー 時代は移り、少子高齢化が急速に進む時代。四十年前、全世帯の六割を占めていた「子ども(十八歳未満)のいる家庭」は四分の一にすぎなくなった。増えたは、子どもを気にする必要がなくなり、楽しみを求めて外に出る大人たち。井上は「即席ルーの完成度は高かったが、どうしても画一的で簡単な味だった。一方、大人は海外旅行や外食で本物を知り、それでは満足しなくなった。十年ほど前から求めるカレーが多様化している」と分析する。「糸力」のように手作業でスパイスを調合する料理人が現れ、市販のカレー粉をやめて専門業者に独自のスパイスブレンドを依頼する店も増えた、宮下は「家庭でもスパイスからカレーが作れる。従来のルーの時代は終った」と話す。変容する「国民食」。いずれ、カレーを自分一人分だけ作るのが当たり前の社会が来るのだろうか。(敬称略、文・出口修、写真・有吉叔裕、グラフィックス・笹木朋子)(了)